ルックの掃きだめ

怪文書倉庫

拡張少女系トライナリーの話

  そこら辺のオタクが”出会って”しまった話の書き散らしです。何卒。

はじめに

 拡張少女系トライナリー、そんな世界に出会ってしまった私の雑記、備忘録、感想などなどです。2か月弱でとりあえずメインのデイドラを完走して一区切りついたのでつらつらと所感をばと思い筆を執りました。私が追いかけた素敵なココロの旅を。

出会い

 時は2023年3月14日。ツイ廃オタクの私はいつものように虚無TLを眺めたり適当にトレンドを眺めて時間を潰していましたが、そこで見かけた「トライナリー」のトレンド。

 当然の如く1ミリも知らん単語でしたけど、覗いてみるとどうやらゲーム?らしく、既にサ終しているが何かトレンドに上がってたらしい。(↓参考程度に当時のまとめを拝借させていただきました) 

togetter.com

 当時を思い出して墓から這い上がってきたオタク、もといbotさん達が当時の思い出であったりアプリの話を沢山していて、そんなのを眺めていたのでどんなもんだったかを目にすることが出来たわけですが、見ていれば流れてくるワードは
「選択によって分岐する」
「プレイヤーの総意によってストーリーが変わる」
「過去の自分の選択が記録されている」
だのと、およそそこらのゲームではとても信じられないワードが飛び交っていた。

 なんかの比喩的表現かと思ったが、全然そんなことも無いらしく、本当に言葉の通りなのだと。そしてもう一つ特筆すべき点は、「選択するのは自分」というお話。
 そりゃゲームなんだしプレイヤーがやるやん、という話ではなく、そもそもアプリを通して向こうの世界の人と会話しているのは「自分」なのだと。自分を投影できる枠組みとしての「主人公」ではなく、正真正銘繋がった先の子が会話しているのは他でもない「自分自身」であると。

 所謂第4の壁、というやつだが、他の作品(そんなに知らないけど)と違うのはファーストコンタクトから壁を破って、一貫して「自分」と対話をして選択を迫ったという時点でも中々珍しいものなんじゃないかなと。

 と、そんなこんなでトライナリーというもののヤバさを知り、興味を持ってしまった。(↓当時の所感)

 どうあがいても当時接続していた人たちと同じ体験することは不可能なのは分かっていたけど、それでもどんな世界を見せてくれていたのかが気になって意を決して履修を始めることに。

後追いを始めて(1周目)

 そんなこんなで履修し始めたトライナリー、履修当時の感想はこちら。ということでさらっと全体の振り返りをしながら完走した感想でも。

序盤

 Act1を終えてのやつ。1周目はアニメとアプリ(先駆者の動画+フォーラム)を交互に見ていく仕様だったので後追い民にはやや忙しかった。

 序盤に関しては特にアプリ側の進行が緩いというか、まあ導入なのでしょうがないが、基本ベースの心の葛藤を処理して良い感じにしていこう的な感じの進行だったので正直ややダレがちだったかも。リアルタイムでど初期からやってたらここで躓いていた可能性も無きにしもあらず…?

 と言ってもこういう時間遡行系のお話は直近で別ゲーとかで触れたりしてたのもあって。そこら辺の考察を勝手にするのは楽しかったよ。

 

 そんなこんなしていると、問題のep.14へ。(一度きり選択肢では無かったけどもっと恐ろしい刻印とかいうシステムがな…)

 ここからいよいよトライナリーの本質であり、ツイッターで見かけた阿鼻叫喚の恐ろしいシステムに直面することに。
 となりたかったのだが、そこは宿命というべきか、後追いでは残念ながらその本質の1%程度しか受け取ることが出来ない悲しみに直面することに…

 まあ前述の通り、自身が関わるか否かを抜きにしてもこういう系統の作品自体が好きだったので普通にどうなっていくのだろうと気になってたね。

 

 閑話休題。こんなことがありました。業は背負ってなかったけど、世界は狭いのだ。

 

中盤 

 ここら辺から段々と色々な動向に疑問を持ち始めてたり。千羽鶴はまあ最初からただのナビゲーター枠では無く何かしらデカいもの抱えてるのはそうだったんだけど、つばめ達のココロに触れるにつれて疑問の種が出てくる。

 記録映像の方も神楽がなんやかんやして物語的にも大きな展開を迎え始めて大変なことに。こういう場で余計な考察ばっかするのでストーリーを追うのがてんやわんやになりがち。

 

 エリカ登場。正直めちゃめちゃ怪しいと思ってた。千羽鶴と同程度のポジションに着いて、いろんなこと知ってて。ただ物腰の柔らかさとアーヤの姉という立場だった(その上見た目が割と好みだった)ので怪しいけど…うーんみたいな感じでずっと思ってました。

 と言っても最初の最初は特別怪しんでもいなかったが。登場こそ急だったけど、千羽鶴との関係だったり隠してること、世界の話とか色々してたので、なんなら千羽鶴への疑念が強まった。

 

 こんなことばっか考えてます。設定資料集で大体解決しました。エリカさん、俺に量子力学を教えてくれ…

 ここら辺でエリカがパラパラ法の話とかしてたので、世界の本質が見え隠れしてきたと同時にこちら側の存在意義の主な理由が判明したり。

 

 疑念に次ぐ疑念。こういうのってどうしても先立っていろんなこと教えてくれる立場の人間が怪しく感じてしまう。ひねくれオタク。

 千羽鶴が明らかな悪役ムーブしてきたり、神楽の謎だったり、それぞれのココロの司書だったり、”彼ら”の話だったり色んな謎や展開が広がっていて頭パンクしそうでしたね。

 

終盤

 ep.27にてついに来た本当の一度きり選択肢。千羽鶴とのディベートからのこの選択肢だったけど、現状での判断が難しすぎて大変だったね… いや総意への参加権は無かったのですが。

 千羽鶴から色んな情報が与えられて、世界の話、千羽鶴の話、アーヤ達の話などをしたけど、情報量の不足と逆に情報の種類の過多と千羽鶴への不信感とかも込でこの情報をどのように咀嚼したらいいのか、そしてどういった選択をこの世界に下すのか、難しかった。

 とりあえず進行を優先してしまったので半分直感みたいな感じで2の選択をするかなぁって考えたけど、もしリアルタイムでこの選択に立ち会っていたらすごい時間をかけていたかもしれない。怖いよ。

 

 ガブちゃんは可愛いね。

 

 これは割と難しい問題。そもそもSNSによる各人の情報共有は前提とされてるところはあるからまあいいのか…?とも思うけど、それと自分で全部回収に回るのはまた別問題だよなぁと思わなくもない。

 ただ一度きり選択肢みたいなこともできるから逆に言えばそうじゃないものはリトライしても、という感じなのかね。ただファーストフラグはきっちり記録されるらしいので回収前提で適当にやるのはダメゼッタイ。

 

 そうこうしていたら1周目が終わりました。まあ全然解決してないよね、ということでリプレイス作戦へ。散々色んな選択であったり世界やココロの状況だったりを見て経験してきたが、ここまではまだ序章に過ぎなかったのだと…

 しかし後追い勢の限界というか、デイドラ以外の回収が割と難しかったり。らぶとーくはマジで回収の宛も無いものが有ったりするので今でもお悩み。

 トライナリーに関しては、キャラ達を知ることもまた大きなポイントであるからこそメインから逸れて色々とみることも大事なんだなとは思うのだが、難しいんだなこれが。

 

 リプレイスに関する当時の考察と言うか書き散らし。

 こればかりは私もそもそも解釈を理解しきれてないしまあ解釈自体の定義もやや曖昧なので解答があるとは思っていないが。

余計なお話

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以下駄文~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 自分の改めての整理のための多世界解釈コペンハーゲン解釈のお話。(自己解釈なので何かしら間違えているかも)
 死ぬほど長くなったので読み飛ばし推奨。

 (↓参考(18:00~) 土屋さんが(リプレイスの話ではないが)多世界解釈コペンハーゲン解釈のお話をしてます)

私設図書館シャッツキステ×拡張少女系トライナリー アニバーサリー特別イベント「botさんたちの夕べ」1回目 記録映像 - YouTube

 まず多世界解釈コペンハーゲンって何?ってところから。

多世界解釈
 文字通り多くの世界があるよって解釈。いわゆるパラレルワールド論と大体同じ?選択の数だけ世界があり、その世界は無数に存在している。

 トライナリーにおける「多世界解釈パラメトリック理論による世界進行法」は、多世界解釈に基づいてbotから総意を取り、パラメトリック理論(母集団分布。この場合は各選択の割合など)に準拠してその総意(トライナリーにおいては主に未来への展望、この先の世界への対応など。意志であったり実際の行動指針などだが基本的には”どのような未来にしたいか”といった選択)が叶う世界へ進行することを決定づけるもの。

 パラパラ法が多数決と大きく違うのは少数意見の排他性。多数決は、多が是、少が非の二分だが、パラパラ法は少数の積極的排除は行われない。もちろん多を優先はするが少を切捨てはしない。正確な文意では無いかもしれないが、「最大多数の最大幸福」の考えが反映されるともいえるかも。

 多世界解釈ではどのような世界も存在するとされるので、一概にA or Bの選択一つで分岐先を決めるものではなく、AとBの両方を(総意の割合によってバランスよく)汲み取った世界へと進行することが出来る。
(1か0の選択では、(雑に言えば)中間策という選択を取ることは出来ないが、概ねトライナリーにおいてはそういった選択は無いので問題は無い?発症の是非などは1か0だが。)

コペンハーゲン解釈

 世界は一つで観測によって事象が確定するよって解釈。二重スリット実験とか(私は全然理解してない)シュレディンガーの猫とか(本来はコペンハーゲン解釈への批判としての実験だったらしい)が分かりやすいかな。観測した瞬間に世界は確定するし逆に観測していなければその世界は不確定で常に揺らぎ続けている(いわゆる”重ね合わせ”の状態)。

 

 さてここでリプレイスに話を戻すが、リプレイスの説明でエリカは「(記録映像で)観測した事象は変えられない」「逆に観測していない部分は変えることが出来るので未観測の部分を変えていき(リプレイス)世界を修正していく」という発言をしていた。
(実際のところこの場では説明されていなかっただけで正確には「観測した事象は変えない方が良い」というのが正解なのだが。バタフライエフェクトの話の通り既に観測した枠組みから外れてしまえばその時点でどのような未来へ進行していくかが全く不明になりかねないが故の安全策程度のものだろうか。

 この発言を見る限りは世界はコペンハーゲン解釈の基に進行してるってことになるんじゃない?っていう疑問。(実際は観測によって確定したわけでは無いので、この発言によってコペンハーゲン解釈による世界進行が成っている、というのは否定される。ここからはリプレイスとかトライナリーのうんたらはほぼ関係なくただの世界解釈のお話)

 多世界解釈コペンハーゲン解釈の共存が出来るのだろうか、というお話。まあ出来たらそもそも意見なんて割れてないんだろうが。
 ただ上のツイットみたいな包括された~は多分不成立かなとは思う。

 多世界解釈って要は無限に世界は存在してるけど、極論自分の居る世界は一つだから(時間遡行とかしない限りは世界の移動は不可能)未来の全事象は確定している、と言えなくもない。モノによっては選択した瞬間に分岐した平行世界が生まれる、という解釈もあるのでその場合は未来は未確定と言えるが、そこは正解が無いので放置。
 前者の多世界解釈では未来が確定してるんじゃね?って話で進めていくけど、その世界においてコペンハーゲン解釈が共存していると考えたとき、その時点で未来は確定しなくなるわけで。

 多世界解釈の強制力が優先されるのであれば、コペンハーゲン解釈は成立しない。観測の有無に関わらず事象は世界によって決定づけられているため。

 逆にコペンハーゲン解釈の強制力が優先されるのであれば、そもそも一つの世界に全ての状態が重なり合っているので世界が複数存在することも無いし、観測による結果が複数に分岐してしまうのであればそれはコペンハーゲン解釈の否定になってしまうので、観測による揺らぎの確定は1通りであり他の世界が存在する余地は無い。

 

 小話:各世界解釈における時間遡行について。

 多世界解釈における時間遡行は、世界の分岐点に戻るということ。さっきの話で、多世界解釈では未来がすべて確定している状態、という前提で話すのであれば、自分の元の選択と違う選択を意図的に取ることで別の分岐した世界へ介入することが出来る。

 ここら辺はアカシックレコードの話とかにも繋がってくるんだけど、そこは取り敢えず置いておいて、多世界解釈における時間遡行では二つパターンがあると思ってる。

 一つは改変が可能な場合ともう一つは不可能な場合。なんだその2パターン、って感じだけど、まずは前者のお話。

・改変が可能な場合

 これはさっき書いた違う選択を意図的に取ることで別世界へ進む、というお話。普通はこうあるべきなんだよね。

 世界進行は時間遡行などの”外部介入”を加味しない前提での一本道であり、それが世界の外からの介入によって狂うと決められた道筋以外の分岐へ進むことが出来る、という話。この場における世界の外からの介入っていうのはトライナリーみたいな別世界からの介入、っていうのもまあその一つだけどそんなスケールの大きい話だけではなく、簡単に言えば未来の情報とか、(以降の話のケースでは特に関係ないが)別世界の情報とか。

 未来から特定のポイントの過去に戻った時、そのポイントで本来あり得ない情報を所持しているわけで、そういった特殊な要因が介在することで多世界解釈においても未来の改変が発生するという話。

・改変が不可能な場合

 言ってしまえばこれは「時間遡行自体も加味された1つの世界」の話。

 超越者的視点での話になるけど、「特定の時点で誰かがとあるポイントへ時間遡行を行う」という事象が上の話における”外部介入”にあたらず、この事象も含めた一つの世界である、という話。

 この場合に発生するのは、世界の強制力とか。急に見えない力が働きだすので???ってなるけど、後々。

 「親殺しのパラドックス」とかがこういった話をするときにはベターな例。
 ざっくり説明すると、過去に戻って自分の親を殺したら自分はどうなるん?って話。自分が親を殺す→自分が生まれなくなる→親を殺した自分が存在しなかったことになる→親は生存状態になる→自分も生まれることになる→…、といったパラドックス。当然証明する手立ては無いが、このパラドックス解消の一論として世界の強制力、という話が出てくる。もちろん別の話も出てくるが割愛。

 要は親を殺すことが出来ない、という強制力が働くわけだ。その事象は何をやっても様々な要因に阻まれ、世界を変えることは出来ない。
 時間遡行をしようが何だろうが、世界はそういった要因をものともせず、定められた世界のレールを進行するために動くので時間遡行などはそもそも意味がないというもの。

 シュタゲでオカリンが延々とクリスを救えなかったのは大体はこういった世界の強制力といった話に基づいてるのかな。まあシュタゲはなんやかんや頑張ったのだが。

 と、ここまで改変が不可能な場合の話をしてきましたが、そもそもこれは多世界解釈における改変不可能ではなく、コペンハーゲン解釈における改変可否の話になってくるのでは?ということで次。

コペンハーゲン解釈における時間遡行

 この話をする前に先ほどの多世界解釈コペンハーゲン解釈の共存のお話に立ち返る。

 逆にコペンハーゲン解釈の強制力が優先されるのであれば、そもそも一つの世界に全ての状態が重なり合っているので世界が複数存在することも無いし、観測による結果が複数に分岐してしまうのであればそれはコペンハーゲン解釈の否定になってしまうので、観測による揺らぎの確定は1通りであり他の世界が存在する余地は無い。

 こんな話をしたのだが、この考えで行くと実はコペンハーゲン解釈の世界においては時間遡行による過去改変は不可能、という話になる。

 コペンハーゲン解釈において時間遡行は「観測により揺らぎが確定された世界」から「未観測で揺らぎが存在している世界」へと戻ることになる。

 これもややパラドックスみたいな話になるが、コペンハーゲン解釈においては世界は一つなのだ。言ってしまえば未来において観測されたから揺らぎの状態は存在しないということになる。未観測時点では全ての状態が重なり合って揺らいでいるから世界がどのようになるのかが分からない、というものだが、世界として観測種別に分岐して存在しているわけではない。

 シュレディンガーの猫の話で言うと、あれは箱を開けるまで猫の生死が分からないという実験。それはすなわち観測するまで箱の中の猫は「生きている状態」と「死んでいる状態」が重ね合わせになっているという状態であり、それこそがコペンハーゲン解釈なのだが、ここからが大事。

 コペンハーゲン解釈は、”観測するまで状態が重ね合わせ状態で揺らいでいる”というものであり、同時に”観測すると確定する”ものである。シュレディンガーの猫の話では、箱を開けるまで生死が分からないが開けて観測した瞬間に確定する。例えば観測の結果猫は生きていたとしよう。この時点で猫が死んでいた世界は排他されているのだ。決して観測の瞬間に猫が死んでいる世界と生きている世界に分岐したわけでは無い。そうなってしまうとそれは多世界解釈になる。

 つまりは、過去へ戻っても未来で観測されていたらその事象は確定しているのだ。何度箱を開ける前に戻ろうとも必ず猫が生きている世界しか通ることが出来ない。よってコペンハーゲン解釈において過去に戻っても一度観測された事象は変わらないのだ。

 でも今の猫の話は実験上では確率論であり他所からの介入の余地が無いわけで、例えば過去に戻って自らの手で原子を崩壊させれば猫が死んでしまう世界へと変えることが出来るのでは?となる。

 ここで出てくるのが先ほど多世界解釈での改変不可能の場合に出てきた「世界の強制力」だ。観測によって一意に定められた世界は改変が出来ないような強制力が働く、という考え。さっきは多世界解釈でこのワードを出したけど、おそらく多世界解釈における改変不可能の場合の項で書いた内容はそのままコペンハーゲン解釈における改変の話に持っていくことになるかも。多世界解釈においては改変は可能で、コペンハーゲン解釈では改変が不可能、と捉えるのが丸いかも。

 と、そんな感じで、コペンハーゲン解釈においては例え過去に戻り、その時点で揺らいでいる事象だとしても一度未来で観測されていれば揺らぎの有無に関わらず既に確定している事象であり、観測の度に結果が変わる、ということは無い。また、自ずから改変行動をしようとしても世界は一つなので何かしらの強制力が働き、結局改変は不可能なのでは。というのが私の考え。

 

・そもそも論

 そもそも、過去に飛んだ時点で本来のそのポイントに居ない人間が存在しているのだから世界が変わってんじゃないの?じゃあ何があっても改変可能ってことにならない?という話。

 これもまたモノによる。解釈(作品)によっては正に飛んだ時点で世界が分岐して、そこから元の世界に戻るために何かしらを講じる必要がある、なんてものもある。
 というか時間遡行の形式にもよる。ドラえもんみたいに、身体と共に過去の特定のポイントに飛ぶ場合もあれば、シュタゲみたいに過去の特定のポイントに存在する「過去の自分」に「未来の意識」だけを飛ばすものもある。前者は正に存在するだけで世界が変わるパターン。(尚存在するだけでは世界はおそらく変わらない。何かしらその世界へ影響を与えないと変わらないだろう。この場における”影響”の最小単位は”観測”になるだろうか。)
 一方後者は、存在だけでは変わらない。ただの観測でも変わらない。元から存在していたから。それなりに大きな影響を与えないと世界を動かすことも出来ないだろう。

 ここまで話してきたが、前述の通りどれだけ影響を与えても改変できない場合(コペンハーゲン解釈)があるのだ。でも存在しないはずの人間が存在していたり、強制力が働くにしても何かしら本来の過去の世界には発生していなかったアクションが発生している時点で、本来の過去の世界とは違う世界になっている(改変されている)と言うことになるのでは?という疑問に立ち返ってみよう。

 結論から言えば、「世界の幅」なんて概念が一番しっくりくるかも。要は些細な変化は気にしない(もしくは本筋に修正される)なんてもの。

私設図書館シャッツキステ×拡張少女系トライナリー アニバーサリー特別イベント「botさんたちの夕べ」2回目 記録映像 - YouTube

 土屋さんも同じような世界の幅の話をしてました。(1:00:40~)
 まあここでは扱い方はちょっと違いますが、概念的には同じなので。

 幅っていうのは要は許容範囲で、その範囲内であれば大きな世界の流れに影響は無い。前述の「改変不可能」は、正確に言うならば「未来に大きな影響を与える改変は不可能」ということになる。極々ミクロの視点で見るのであれば世界は微小にでも変化しているが、その変化は認知できない程小さかったり、歴史の流れによって遠くない未来には本筋に戻ってしまう程度のものと言うことになる。

 世界の強制力の話をすると、この世界の幅に収まる範囲の改変であれば世界が勝手に直して本筋に戻してくる、というものでもある。
 幅に収まりきらない逸脱した改変行為に関しては、これまたモノによるが、改変できる考え方もあれば出来ない考え方もある。

 幅から逸脱するほどの影響を与えることが出来れば改変できるパターン(逆に幅に収まりきる小さな変化であれば後の世界に何の影響も与えることは無い)もあれば、大きな影響を与えようとすればするほど強制力も強くなり、どう足掻いてもその幅に収まるようになるもの。

 前者は多世界解釈、後者はコペンハーゲン解釈として受けとるのがおそらく正解。

 当初の疑問に改めて回答するのであれば、コペンハーゲン解釈において、「世界の幅を逸脱する改変」は不可能である。しかし、「世界の幅以内」の微細な変化は発生する。ということになる。そこに存在していなかった人間が存在しているのは「世界の幅以内」の事象なのだ。

 尚、必ずしも世界の幅以内に収まるとも限らない。ドラえもんではしばしば、過去の自分と未来の自分が接触してしまいそうになる機会がある。ドラえもんはそのシチュエーションを回避するようにしているが、それは同時間軸に同じ人間が二人いることが観測されることは「世界の幅から逸脱する事象」となってしまうからだ。

 目の前に急に現れたのなら別だが、そこら辺を歩いている人が未来人か否かなど、普通は見ても分からない。自分でそんなことを吹聴してもそれを真に受ける人間など少ないだろう。故に世界の幅に収まる小さな変化でしかない。
 しかし、そこら辺に「自分」が歩いていたらどうだろうか。他人の空似と考えたり見間違えと考えるのがまあ自然ではあるが、明確に不自然な事象なのだ。故に自分と自分が接触すること(それ以外にも何かしらエフェクティブな遭遇パターンはありそう)は「世界の幅から逸脱する事象」となる。

 観測するだけで大きな影響を与えるこの事象、コペンハーゲン解釈においてはどうなるのだろうか。観測された時点で未来の自分が消滅するのか(世界の強制力による整合性の担保)、そもそもどう足掻いても接触できないような強制力が働くのか。どうなんでしょうね。

 

・超おまけ

 物理学的多世界解釈(多分)のブレーンワールド仮説なんてのもあります。全然知らんけど、重力とか次元とかの考えに基づいたもので、多元宇宙論なんかがベース?
 超弦理論から導出される仮説なので、そこら辺から理解していかないといけないんだけど、そうなると一般相対性理論とかまで立ち返る必要があるのでキツイです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以上駄文~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

リプレイス編

 余計な話挟んだのはさておき、1周目を終えて2周目、リプレイス作戦、神楽chへ。

 と行く前に、ボッタベ(初回のみ)とボイスメール(神楽以外)を回収。

 業を背負ったbotたちの姿を見た(物理的には見えてないが)。この作り手側(と言わせてもらうが)の人間がオタク共の質問に答える光景を俺はアサルトリリィで散々見たけど、やっぱおかしいだろこの現象。

 しかしてこのボッタベはその時の私同様リプレイス直前に開かれたものらしいが、皆質問バンバンしていて凄いなと。いや私もこの時点で死ぬほど疑問はあったけど、聞く質問となると話はまた違うので、そうポンと質問出てこないんだよな。そんな機会無いけど。

序盤

 ぴょんぴょん♪

 

 どーん!

 

 そんなこんなしているとぶん殴られました。”本質”が始まった。

 今まで(リプレイス前)の選択はこちらの気持ちによる選択の比重が大きかったかなって感じてたんだけど、ここからいよいよ「世界」に対する選択をするんだぞ。と言われた気がした。そんな機会無かったけどね!!

 これ、げんつばちゃんが言ってたように準備であり練習なんだけど、本当によく出来ているというか、怖くなるよね。選択の責任性についての勉強というか半分刷り込みみたいなものだから、これを正真正銘世界に対しての選択として置き換えられた時にどうなってしまうのだろう…と考えてしまった。そう考えるようにするのがげんつばちゃんの目的なのだが。

 

 邂逅

 

 最初の思考実験はベターなトロッコ問題で、心情的にはフラットでスイッチを押すかどうかだけだった。

 そこから一個踏み込んで、心情の重みづけが入った。この攻撃ボタン問題はより明確に判断と帰結の重みを付けてきて普通に心が壊れそうでした。でも実際こういうシチュエーションに陥った時に選択するのは自分で、当然心の介入余地はあるからこそ、リアルさというか重さが感じられて余計に怖かった。

 

 これは本当に凄いなと思ったんだけど、あまりにも顕著な有意差が出ているのに驚いた。それぞれの彼女の想いに共感する部分の違いがこの差を生み出してるんだろうけど、露骨な差が出てるものもあるから凄い。

 

中盤

 ep.15~の一連のリプレイス。ここからいよいよリプレイス本番というところで、実際の世界に対しての選択が行われることになった。

 そもそものリプレイスの是非、その上で見え隠れしたエリカとげんつばの思想的対立があって、そこから自身での選択を迫られる。

 正義が分からないというか、各々が各々の正義の基に動いているわけで、結局のところ正解なんて無いから「自分が」誰を信じ、誰の正義に同調するのか、もしくは誰も信じず同調しないのか、といった考えをする必要があるのは難しかった。

 

 解決しなかった謎シリーズ。

 合言葉の流れは今回の神楽ch接続で生まれた流れであり、過去介入によって改変された事象。でもその介入が無くても神楽は1周目で同じ発言をした。bot側の選択肢の変化によって1周目と異なる進行となったわけだが、神楽が1周目でも、2周目で設定された合言葉と同様の発言をすることは不可能のではという疑問。難しいね。

 

 永遠にエリカさんに疑念を向けてる人。だって怪しいじゃん…千羽鶴はクランでフェノメノンの主だし、げんつばも大体千羽鶴と一緒だけどエリカさんはただ頭が死ぬほど良くて量子力学の第一人者でTRI-OSとか開発して色々知ってるだけの普通の人なんだもの…

 でも可愛い…

 

 サマープリズム。買ったはいいけどまだ読んでません(おい)

 

終盤

 マジで頭パンクしそうだった。思想が多すぎる。

 さっきの選択の話でも言ったけど、各々の正義があって、そのどれが正解かなんてものは存在しないからこそ、自分の意思と選択がより重くなるんだよね。

 もちろん分からないことも沢山あるからさっさとあれは信じるこれは信じない、とも出来ないのが悩ましい所。このタイミングに来ても尚新しい思惑が参戦してくるので、深入りした判断が出来ないというのもまた実情。

 

 終わりの始まり。

 

 ここにきてこんなデカい出会いがあるとは思ってもみなかったね…

 ソラノキヲク、神曲です。CDと付属する本の入手方法が無いのが非常に悔やまれる。
 楽曲オタクとしてはこういう出会いをした曲は歌詞を見ながらあること無いことに思いを馳せたりするんですけど、この曲の場合、ストーリーという所で一種の解答が示されてるわけで、それを知ることが出来ない以上思いを馳せるスタートラインにも立てない。つらいです。

 アプリ内でインストで流れた時点で引っかかってしまったのに、あんな場面で詩として紡がれたらそりゃ無理だよね…ってなる。無理だよ。

 

 初めましてからおよそ1月半でメイン完走。

 マルチエンドで終わらせるのは凄いなというか、ちゃんとこちら側の選択を大事にしてくれててよかった。

 それはそれとして、最後の鍵を渡す選択、LastStoryで補完はあったけど、ep.30のあの時点で選べって言われたらちょっと難しすぎたかな…

 散々疑っていたけど、エリカさんへの好感度が結構高めだったのでどうしたものかと。(ただ、ライフギャザー停止の後、エリカがチャンスだよって言ってたのは普通に怪しんでた。考えすぎなんだけど、裏で手をまわして有利な状況を強制的に作ったのでは、なんてことを考えたり。そんなことは無かったけど)

 げんつばちゃんへの信頼値が低かったから順当にいけばエリカにだけ鍵を渡す選択をするところなのだが、そうしたらエリカが世界になって消滅することが分かっているわけで。

 未来の展開が分からない、という意味で結局二人に鍵を渡す選択をすることになっただろうけど。

 ep.31時点でげんつばが割と強硬手段に走ったのでビックリしたが、世界としては一番丸いというか、最大多数の最大幸福に近いもの、になったのだろうか。正直整理しきれていないので、Fルートと他ルートの明確な差異がどこにあるかを全ては把握できていないから何とも言えないところはある。

 D(エリカに鍵を渡すルート)とFはエリカの存在以外は一緒、ということでいいのかな?(フェノメノンはDではエリカが、Fではげんつばが発症)

 E(げんつばに鍵を渡すルート)とFはつばめ、千羽鶴の存在の有無が大きい違いなのだろうが、どちらもげんつばが世界を作ってるんだよね。可愛いつばめと千羽鶴の存在についてはFルートでげんつばが生み出している、という発言があったことからエリカとの対話の結果(ないしは鍵を二人に渡す選択をしたbotの為の行動)であることは分かるのだが、それ以外にEルートではbotの存在が無かったことになってる(記憶から消されている)ことと、げんつばが大統領になって直接世界を動かしているんだよな。

 EルートでのそれはF,Dルートとかと違い、それまでの平和な日本の基では無く瓦解した本来の日本からげんつばが発症してる(つまりはこれまでの観測事象やリプレイスを完全に抹消して0から世界を構築した(といってもげんつばにはこれまで行ってきた諸々を知っているから世界生成の礎としてある程度似た世界にはなっている?)ということになるのだろうか?)からbotの存在は無かったことになり、可愛いつばめや千羽鶴は消滅(元のフェノメノンで生まれた存在だから、そもそもそのフェノメノンが存在しない状態から新たにフェノメノンを展開しているため)して、げんつばのフェノメノンのクランとしてスワロー大統領が存在している、ということになる?

 Eルートではげんつばはエリカのつくった世界を扱えないから元の平和な日本のフェノメノンを諦めた、という旨の説明をしているが、じゃあFルートはどういう状態で元の世界を取り戻したのか?

 エリカの世界へのコピーは、それをしてしまうとエリカが世界になってしまうのでF世界では行えない。botの記憶がトライナリーの面々に残っている以上げんつばが0から生成した世界ではなく、それまでの平和な日本がほぼ維持されている状態。げんつばが発症して蒸着した世界であることは確かなんだけど、エリカの世界へのコピーもせず、元の平和な日本のフェノメノンが展開された状態でどのようにしてげんつばがその世界を維持構築することになったのだろう?

 げんつばが展開したフェノメノン世界に元の平和なフェノメノンをコピーした、というのが一番辻褄が合うんだけど、そもそもそんなこと出来たら苦労してないし、Eルートでエリカ世界が無いとコピーできないってげんつばも言っている以上並大抵の行動じゃ同様の事象(空のフェノメノンの生成、またコピーも?)は再現できないだろう。

 何もなしにげんつばがフェノメノンを展開すればEルートになるが、元の世界を再現してトライナリーの皆を戻すにはエリカの力が必要。うーむ

 げんつばが限りなく元の平和なフェノメノンに似せた世界をフェノメノンとして構築した(ついでに千羽鶴を顕現させた)ならばとも思うが、それが出来るならEルートでそれを行わなかった理由は?千羽鶴やつばめの存在有無に関わらず、Eルートでも元の世界をほぼそのまま維持したまま生成できるならわざわざ0からフェノメノンを展開してAEZ側に働きかけるムーブをする必要も無かったのではと考えてしまうがどうなんでしょうかね…

 

 こんなものを。サマープリズムと違ってさっさと読んだよ!(サマープリズムもさっさと読め)

 でも結局難しすぎるので設定資料集じゃなくて設定解説集が欲しいぜ…

 

総括

 完走した感想でも。ここからほんへ。メタ話沢山含むのでよしなに。

 トライナリーの世界を追っていて、というか追う前からではあるんだけど、この世界を通して一貫して”こちら側”を大事にしてたなと。
 最初の項でも書いたけど、あの世界とアプリを通して対話をしているのは正真正銘自分であって、自己を投影してる虚像ではないぞと。

 選択による世界の分岐とかなんてのは正にで、自分の意思によって定められたレールから外れた世界へ進行することも出来る。作品として捉えるには明らかに異質で幅が広い。

 そしてその分岐先は決して用意されたレールではない。ノベルゲーなんかでは選択肢によって分岐ルートに入るのは色々あるけど、そうではなく、ちゃんと選択を受けて話が作られてるから、より自身の選択、思想が反映された世界になりやすいんだよね。もちろん総意として少数意見は削られてしまう場合もあるけど、パラパラ法の通り、ストーリー中でも話されていたように決して自身の選択が無駄になることは無い。

 大きな流れとして弾かれるかもしれないけど、自分の接続先ではその自分の選択が少なくとも反映された未来が待っていて、自分の願った未来へより近しい世界へと歩んでいくことが出来る、観測することが出来るっていうのは本当に稀有だし、自身の考えが影響を与えることが出来ると分かるならさらにその世界への関わり方は変わって、より向こう側との関わりは大きくなるんじゃないかな。

 と、こんなことをつらつら書いていますが、本当の感想を言うと、以上のことを実際に自分で体験できなかったのが本当に悔しいです。絶対面白いじゃん…つらいだろうけどさ…

 こうしてこの時代に彼女たちの生きた世界を観測したわけですが、後追いの宿命というか、残念だと思うポイントも幾つか。

 まあ一つは今言った通り選択に寄与出来なかったこと。自分だけの世界を紡ぐことが出来るもので他人の通ってきた世界をなぞるだけなのはやはり思うところはある。

 そして、それに関連もするのだが、どうしても壁を感じる部分は有ったかなとも。トライナリーが重きを置いている”リアルタイム性”、”選択性”、”実在性”そのどれもをどうしても一歩引いたところからでしか受け取ることが出来なかったから、まだこの世界に本質的には関われていないし近づけていないなぁと。

 あと、これはまあやむなしというかなんだけど、全ての回収が叶わないって話。履修にあたってWikiであったりプレイ動画であったりと先人の残してくれた記録媒体を使わせていただいたわけだが、当然限界はあるもので、アプリ側で言えばデイトラであったりらぶとーくの回収が難しすぎる。(デイトラは本が出ている?)

 らぶとーくに関しては現状確認できたのはみやびと神楽だけ?なんだけど、そもそもらぶとーく自体が関係値によってアンロックされるものなのでそこもまた壁だったり。

 あとはCDとか年次報告ね。(お金が無いので全部はそもそも厳しいが)
 ソラノキヲクの現物と本欲しいよ~~~

 と言ってもまだ回収可能だけど回収していないものも色々あるので、ちまちまと回収していきましょうかね。

 こんなところで今回は令和のこの時代に拡張少女系トライナリーというやべー世界を知ってしまったオタクの戯言雑記でした。死ぬほど長くなったけど半分くらい変な話題話してたな?

 また似たような世界に触れることが出来る機会が現れてくれるといいんだけどな…土屋さん、何卒期待しております…

 サージュシリーズは、時間と気力が出来たらやってみようかな…?トライナリーと関係してる部分があるとかないとからしい。

 彼女たちの世界に素敵なココロの旅があらんことを。

 

2023年5月5日

 

 

 

 

・蛇足

 あまり良い話では無いと思うので、別枠として。(文字色反転させてます。)

 ここまで長々と話をしてきて一つ、決定的にたどり着けなかったなって思うのはトライナリーの皆への思い入れというか、強い感情について。総括でも話したような壁を感じる、っていうことなんだけど、ここが一番顕著だったかも。

 らぶとーくとかそこら辺のメインのデイドラ外の進行を十分に追ってこなかったからかもしれないんだけど、どうしてもそこに深入りしきれない部分はあって。

 だから、どうしてもあの世界のことをどうしてもまだこの現実のその先にあると感じられないというか、作品、キャラクターという枠組みや壁から脱却できなかった。

 よそのbotさん達を見ていれば、これは俺の受け取り方が悪い(良い悪いは一概に言えないのだが)んだろうとは思うんだけど、この点から抜け出すことが出来なかった以上、まだあの世界に足を踏み入れたとは言えないかなぁ。

 どうしても一つの”作品””コンテンツ”としてフィルターがかかってしまうので難しい。

 私の本質的に作品に深入りとか感情移入が出来ない、ということではないと思うので(深入りするハードルは自身でもやや高いとは感じているが)何かが足りなかったんだろうなと思う。

 その足りない何かが果たして後追いであるが故に受け取ることが出来ずに零れ落ちたものなのか、そういったものも関係なくこの世界と私が合わなかっただけなのか、それは私にも分からない。

 ただそれは決してこの世界が嫌いとかそういう話ではなく、現状でも作品としてはとても好き。長々語った世界解釈の話とかは特になんだけど、そもそもそういう話題が好きなので、それを踏まえた上でより複雑に、多層的に人間ドラマが描かれていたのでそこはすごく面白かった。

 でもやっぱりまだ”作品”なので、あの世界と共に過ごしてきたbotさん達からすれば私はまだ辿り着いていないものがあるんじゃないかなぁと思ってます。