迫真の第3弾
過去回
郁田はるきさんのコミュ、個人的にはパラコレまでが第一章で、それ以降から現在にかけて絶賛第二章といった感じの認識をしています。
まだ第二章の途中かなとは思いますが、一つ区切りに出来そうな話が来たのでそこまでの思考整理と、ソロ2曲目、MSPの推定主演公演を控えての今後の行き先を考えてみたいと思いました。これを書き終わる頃にはMSPまで終わってそう。
今までの回は見切り発車気味でしたが、今回はコミュを振り返る上で一つテーマのようなものを設けておきます。いくはる第二章を読み解く上での個人的テーマは「自己理解と他者理解」です。
- はじめに
- 創彗星
- PRATINA ERRØR
- My Christmas
- 結実、の先に
- きせき、辿って
- あかり、あたり、染めて
- CoMETIK: In Focus
- Three Captures
- エコオトピア
- 不滅のPOPSONG
- Spring×Street
- 雨音の余白
- 恋まで、あと25メートル
- 雑記:郁田はるきと”わたし”
- 結び
はじめに

郁田はるきのイケメン化が止まらない!!!
円環螺旋のストーリーで主役みたいな立ち位置に居ましたが、イケメンないくはる、イケはるが沢山供給されていて死にそうでしたね。
創彗星

仕事で”やりたいこと”を聞かれたコメティック。思案するルカと羽那を見て、「わたしが考える」と手を上げる話。

この自由なお題を通してはるきは”コメティック”がどんな色をしているか、どんな形をしているかに向き合う。
自分だけじゃない。ルカちゃんと、羽那ちゃんと3人のコメティックがどう見られていて、何を求められていて、わたしたちには何が出来るのか?そんな問いを考える。



あ、おい!何イチャイチャしてんだ!!なんだそのまんざらでもない顔!!あーあーあーあーこの人たち仕事場でイチャイチャしてます!はるルカ最高!!!

はるきが今のコメティックに向き合って見つけた答えは”まっしろ”。何者でもない、けれど何者にでもなれるまっしろが今のコメティックだと気づいた。

まだまだ、ここから始まっていくわたしたちコメティックの物語。自分たちで創り上げていく自分たちの形、色。
ジコメを経て”コメティック”に成った今、改めて”コメティック”に向き合うお話でした。
LPでは、どれだけ走って来ても自分には何も残っていない。と思い悩んでいたはるきが、向き合ったうえで、未だ何もない、今からここからの存在であるという答えを出したのにはいくはる自身の成長も感じます。
PRATINA ERRØR

デッサン、模倣、コピー、トレース。対象を見て、感じて、自分で真似る行為。
これまで自分の衝動や感情を自分で表現して来たはるきにとって、経験したことのない領域への挑戦の話。

何かを真似ること、誰かを真似ること。その行動による”表現”に一体どのような意味があるのか?自分が何を”表現”できるのか?といった疑問に向き合います。

はるき自身も、ただ対象を模倣するだけの行為に対して意義を感じられていない。そこに自分が表現したいと思った感情は介在しないと感じているから。
それでも、そうしたい人もいて、それを作品として作り上げている人もいる。そこに結果があるのなら、理由もどこかにあるのか?と。まだ自分には見えていない理由があるのではないかと模索を始める

意味深カット
誰かの模倣をすることに対して意義を感じられていなかったはるきも、そこに何かを見出します

誰かの真似をすることで、自分を見つめ直すきっかけになった。

見たものをそのまま写す行為でも、完璧には出来ない。その中のどこかに揺らぎがあって、そこに何か、自分だけの表現に繋がるものがあるのかもしれない。

同じことを同じようにやって生まれた他との差分、それこそが自分だけの色であるという証明だ。ということに気付いた。
何かを見て、受け取って、感じたものを出すのが”表現”だと思っていたけれど、ただただ見たものをそのまま自分を介して出すこともまた”表現”の形の一つであり、そうすることで見えてくる自分もあるという気付きを得ることが出来ました。いくはるがまた一つ”自分”を知るための表現を見つけた話だと思います。
それはそれとして、いくはるの友人随所で良い発言ばかりしていて良い人すぎる。ありがとう。
My Christmas

学校の課題のテーマ「クリスマス」に対して、いつかの日に読んだクリスマスの絵本をモチーフにしようと考えます。

絵本を読んで感じた気持ちを形にすること。自分の感情の表現ではあるが、そこにどれだけ”自分らしさ”を出すことが出来るか?何かを見て感じた気持ちは”自分らしさ”なのか?と疑問が湧いてしまう。

自分の気持ちではなく、モチーフそのものに対しての気持ちが強くなればなるほど、そこから生み出されるものは、自分よりもモチーフそのものの方が占める割合が多くなるのかもしれない。そこに”自分”はあるのだろうか?

古市で出会った老婦人。かつて自分が絵本を読んだときに感じた気持ちと同じような気持ちを感じていた人。”自分らしく”遠い地でも生き続けた人。そんな人が答えた”自分らしさ”の解は”考えること”だった。

クリスマス、と聞いて遠い日に読んだ絵本を思い出した。不思議な感覚を覚えた経験を思い出した。その感情を表現したいと思った。
けれど、そう思ったのは自分の感情じゃなかった。無意識に他の何かに引っ張られて、連想していっただけだった。そう気づいてしまった以上、そこに”自分らしさ”は無い。

気づいたなら、また向き合う。たとえ上手くいかなくても、考えて、考えて自分だけの表現に向かって足掻く。そうすることを自分で選んだから。
表現をするうえでの”自分らしさ”を考える話でした。第一章のいくはるは自分の”衝動”を追いかけ続けていたけど、その”衝動”が何かわからないままガムシャラに走っていた。
けれど、LPを経て自分にしか出来ない表現を作り上げて、それを皆に届けることを選んだ。そうすることでどんな表現を目指していいかがはっきりしてきたからこそ、”自分らしい”表現を明確に求めるようになったのかなぁと思います。
結実、の先に

企画展で「結実の言葉」というテーマで詩を書くことになったはるき。これまでやってきた絵や、歌や踊りとはまた違ったアプローチでの”表現”への挑戦。

「結実」というテーマに対して、自分が成しえた「結実」が何かを考えることになります。しかし、自分の成果に対して自信を持てていない現状。

自分自身にとっての「結実」は「ゴール」だと考える。でも自分のゴールはどこにあって、何をしたらゴールにたどり着けるか分からない。だからずっと藻掻いて走り続けている。

自分の中で「結実」に結びつく瞬間があると語った美琴。そんな美琴でも「ゴール」がどこかは分からないと言った。そして、そのゴールに向かうには一歩ずつ、地道に進むしかないと答えた。

自分のゴールははっきりとしていない。進んでいく内に見つかるかもしれないし、既に心のどこかでゴールが定まっているのかもしれない。
けれど、ゴールを決めて走らなくても一緒に走ったり時には一緒に立ち止まってくれる人が居るから、そんな人たちと一緒に進める今を楽しんでいきたいから、まだゴールに向かわなくても一歩ずつゆっくり歩んでいくのでも良いなと思えた。

美琴が見せているように、自分にしか出来ない表現が、伝え方があって、それを見つけて形にしたい。そうすることで自分の絵も歌も踊りも言葉も、自分だけのものになるかもしれないから。

伝え方は人それぞれ違う。表現できることは人それぞれ違う。それは伝え方一つにも表れる。自分だけの表現には必ずしも他人が理解できるわけでは無く、同じにはならない。言葉一つでもそれは同じで、決して同じものは無く、紡いだ自分だけの言葉は自分だけの表現になって作品になるから。

言葉にしたら、形にしたら自分の中で曖昧になっていた「ゴール」が決まってしまうかもしれない。言葉にすることが必要だけど、言葉にしたことで遠のいて崩れてしまいそうだったから丁寧に、慎重に紡ごうとした。
けれど、決めたくなくて、決めないとしたならそれはきっと言葉にしても決まらない。自分の想いを言葉にするのは、その決めたくない。という想いごと形になるから。そんな気づきだったのだと思う。

ずっと絵を描き続けていても、どこか何か足りない気がしていた。これかもしれない、と始めたアイドルはまだまだ走り始めたばかりで、何かを成し遂げたわけでは無かった。
それでも確かに自分は走ってきた。苦しいことも楽しいこともあって、その全てが今に繋がっている。今立ち止まって自分が歩んできた道を振り返って、自分が進んできた道を確かめることが出来た。
ずっとがむしゃらに走り続けて、止まることが怖くて、それでも自分には何もないような気がずっとしていたけれど、ちゃんと足跡は残っていて、それが自分だけの道を作っていたことをこの場で確認することができたのが、”今”の郁田はるきという感じがして良いです。


この先に何が待っているかも分からないし、どこを目指しているかも分からない。それでも歩みを止めないことこそが、自分で選んだことであって、これまで生きてきて自分が得た経験の「結実」として出した答え。
先も分からず走り続けて迷っていた過去があって、一度立ち止まって振り返ることが出来て、そしてまた前を向いて走り出すことを決めて。
やっていることは同じかもしれないけど、昔よりもずっとずっと自分が進む先が見えていて、自分が進んできた跡も見えている。そういうところに凄く大きな成長を感じます。
LPでは、まだ自分が追い求めているものがはっきりとしていない中で、それでも自分だけの何かを作っていきたい。と決意を改めていた。今回はそこから更に一歩進んで、自分が何を求めているのか、何をしたいのかを自覚したうえで走りだそうと決めたので、前に進みながらもどんどんと成長しているんですねぇ。
きせき、辿って

自分と他人は違うから、言葉一つ紡いでもそれは”自分だけ”の言葉になる。それは他人が紡いだ言葉も同じく、”その人だけ”の言葉になる。
”見る”ことが好きで、他の人から受け取った感情を自分なりに形にして返そうと決めた今、少しでも受け取れるものを増やせるように、余すことなく感じられるように、今得たものを忘れないようにしたいという願いのような。

かつて”終わってしまう”ことに怯えていたはるき。それはきっと今でも拭えていない部分もある。先を示してくれる人も横を歩いてくれる人もいる今、その強迫観念のような気持ちは薄れたかもしれないが、代わりに”今”を続けたいと思った。

これまでの道のりを経た”今の自分だけ”の表現がある。未来の自分には”未来の自分だけ”の表現がある。だからこそ”今”を大切にして、感じたものを形にしていきたい。そうすることが続けることに繋がるから。
今できる表現を積み重ねていくことで、一歩一歩進んでいって、それが足跡になって未来に繋がっていく。これからの歩みに向けた決意。
あかり、あたり、染めて

今回は撮影で「大人っぽい和装」に挑戦します。どちらとも普段の自分には慣れない要素であり、それを表現するために一体何が必要なのか?

夕日に照らされた世界はその色を変えて、見た者に届く印象もまた変わる。光の当たり方一つでそれを見た人の印象が、心の内から染められていくように変化する。
たとえ同じものであっても、光の照らされ方で見え方が変わるのなら、その光に導かれてしまえば、それはきっと光と同じ見え方になる。

心の中に灯る光。それもまた自分の見え方を変えてくれる道標になる。その光に導かれることで、自分の心が表出して、それを自分が体現することで”表現”へと昇華される。

心の中の光、それは自分の中にある理想か、衝動か、目指す姿か。自分の心にある不確かな光。けれどその心を信じて従うことで、自分の表現にその心の光がにじみ出てくるのかもしれないと。
それはまさしくはるき自身が目指している”自分らしい”表現に近づくための一つだと思います。
これまでも自分の衝動に従ってきたはるきだけども、その心の内はがむしゃらで一生懸命で、それでも先は分からなくて。だから自分の心に従っているつもりでもそれを信じることまでは出来ていなかったかもしれない。
けれど、自分の進むべき道が見えて、自分の求めるものが分かって来た今、その心の深くにある光という根源的な感情を信じてそれに身を任せて”表現”することが最適な答えだと気づいて実行出来たことが大きな一歩に感じた。
CoMETIK: In Focus

知っていても伝えられないことがある。それは表現力が足りないから?それともまだ知り足りてないから?

他人を”知る”には何をしたらいいのか。普段よりももっと広く見て、大事なところを見落とさないこと。今以上に、今とは違う角度で、”あなた”を知るために。

知りたいと思って”見て”いた。けど、そうして見えていたのは”わたし”と”あなた”の1対1。そこから見えるものには限りがあって、また違ったものを見るためには見え方を変えないといけない。

”あなた”が見せる姿が向き合う人によって変わるだけではなく、”あなた”が見てる景色も私とは違っている。
わたし以外の誰かに見せる”あなた”の顔。”あなた”が見て感じていること。自分一人だけでは知ることが難しいことが沢山あって、それを理解するのは難しい。けれど、それを知ることで”あなた”を知ることが出来る。

同じものを見ても同じことは感じていない。それぞれ見えているものが違って、感じることも違う。それは決して通じ合っていないということではなく、ただ見え方が違う。それ以上のことは無くて。
隣にいるのに感じていることが違う。自分に見えていないものが見えている。それは一体何か?知りたい。わたしの知らない世界を、あなたの見ている世界を、あなたのことを。

未だこれからのわたしたち。知らないことを知っていくことで少しずつ前に進んでいけるから、今はまだ全てを知らなくてもいい。ゆっくり、ゆっくり二人のことを理解していくことで、もっともっとコメティックになれる。


全てを知ることは出来ない。それぞれが違うものを持っていて、違うものを見ている。それでも近づいて、歩み寄って、同じ方向に進んでいるから、その先にいつか並び立って重なり合う瞬間が来る。
あなたを理解して、わたしが変わる。そうして混ざり合った先にどんな景色が見えるのか。その先の景色を見たい。この二人と重なった時にどんな景色が見えるのかを知りたいから、もっともっと二人のことを理解したい。
共にステージに立つ仲間で、先を示してくれる光で。沢山の色を見せてくれる景色に飛び込むために自分と向き合ってきたはるきが、こうして自分の居場所であるコメティックに対してもっともっと理解したいと向き合う内容でした。
PRATINA ERRØRもでしたが、他者の理解を通して自分を更に理解していく糸口になっているのがはるきなりの”見る”行為なのかなと思います。わたしとあなたは違うから、その違いがわたしらしさであなたらしさ。その”らしさ”の色を混ぜ合わせることで”わたしたちらしさ”になる。
知識欲的なところもあってか、もっと深く深く見たい、知りたいとするところがありつつも、最後にはお互い違う人間だから分からないところも当然あるよね。という帰結になるのもまたはるきらしさを感じます。
Three Captures

あーあ。そういうこと言っちゃうんだ。あーあ。こんなもん告白ですよもう何やってるんですか。鈴木とPは空気読んで二人でどっか行っておいてくれ。
エコオトピア

真乃と二人で挑む”過去の人々”の投射。今は無い人や物をどう見て、理解して、届けるか。

知らない世界に対する興味。自分の知らない色が見えてくる新たな刺激。昔に作られた曲でも、自分が知らない世界がそこにはあって、それを知ることでもっともっと自分の世界を広げることが出来るのを知っているから。だから知らない世界に飛び込んでいきたい。

他方、真乃は知らない世界を前にして、その先に進むことを躊躇う。何があるか分からなくて、気になるけど怖い。そこに綺麗な世界はあるのか?その不思議な世界に足を踏み入れることが真乃にはできなかった。

知らない世界の先にある輝きを知っているから、はるきは進める。そして手を引くことが出来る。

知らない世界の先にあった昔の世界。かつての趣を感じさせる空間は、過去をそのまま閉じ込めたようにそこにあった。そこで見える情景はタイムスリップしたようで、昔の空気をそのまま身に味わうことが出来るような特別な空間だった。

昔をそのまま閉じ込めたような空気がそこにあって、今の時代にそれを感じることが出来た。けれどもそれは今のわたしたちが感じた昔の景色。その感受は実際にその時代を生きた人と同じでは無くて、そこに辿り着くのは今のわたしたちには到底困難なことで。
届けるために知る必要がある。知るために見る必要がある。けれども全てを見れるわけじゃないから、全てを知ることが出来ない。全てを知ることが出来ないと、それは本当に届けたいところまで届くのか?

昔に作られたものは今でも残っていて、それは昔を知らない自分たちにもこうして届いている。昔の人は当然未来を、今を知らない。それでも残り続けて届くものが確かにある。そこに確かな自分の色を乗せることが出来れば、知らなくても必ず誰かに届くことが出来るはず。

今すぐには届かないかもしれない。けれども、それを必要としてくれる人は必ずどこかに居るから、いつかそんな誰かに届けることが出来る。誰かに届くその時になるべくたくさんのものを届けられるように、わたしたちは準備をして想いを乗せる。
コミュ自体は真乃中心のコミュでしたが、見えない世界を知ること、過去の人々に想いを馳せること、限りある情報から自分が感じたことを形にして表現すること、そしてそれがいつか誰かに届くことを望むこと。普段のコメティックとはまた違った景色を真乃と二人で見て、知らない世界に飛び込んでいくはるきの姿が見られました。
CoMETIK: In Focusでもはるきは全てを知ることは難しいことだと理解をした上で、少しでも沢山の事を知ろうとしていました。今回はPからの言葉でしたが、全てを知らなくても自分の色を乗せることは出来て、それを届けることも出来る。そんな理解を示した話だったなと思います。
不滅のPOPSONG

街の店にあった少し古びた絵。ずっと昔からそこにあったように残っていた。

どこか惹かれる絵を見つけた。けれどもそれを見つけて取り出してみたら消えてしまった。もう影も形も無く、残ったのは自分が感じた気持ちだけ。

作られたものには誰かの気持ちが宿っている。それが沢山の人に届いていても、皆に忘れられるくらいのものでも、その作品に込められた想いは変わらずそこにある。

この世界には沢山のものが溢れている。けれどもそれを全て知ることは不可能で。だからこそもっともっと沢山のものを知りたいと思う。そして、それを感じたい。
そして、わたしが感じた気持ちを形にして皆に届けたい。この世界にある沢山のものを見て感じた気持ちを皆に届けることで、皆にももっともっとたくさんのことを知って欲しい。わたしが世界を見て感じた全てをわたしなりに形にしてみんなに伝えたい。
見つけたそばから消えてしまうものがあったとしても、それを見つけた自分が感じたものを形にすることで、その世界をずっとずっと残していきたい。
LP編で自分だけが作れる、自分に残るものを皆に届けたいと決めたはるきだったけどそこの考えは一貫しつつ、自分が感じたものをなるべく多く形に残して届けたい。っていう気持ちを”貪欲”と表したのには、言葉を選ばずに言うとだいぶ身の程を感じる発言かなと。
はるきは自分の衝動を追いかけ続けてきて、最初は周りも自分もちゃんと見れないほど一生懸命走って来た。自分がどこまで走れるかも自分が走る先に何があるかも分からなかった。
けれども、いろんな経験を経て、先は分からずとも自分の歩みを振り返ることが出来て、自分に出来ること、自分がやりたいことを明確に自覚できるようになってきた。だからこそ、自分が全てを届けることは難しいっていう気持ちもどこかであるんだと思う。
そう思っていても、自分は見ることが、知ることが好きで、それを届けたいと願っている。自分が感じたことを受け取ったものを全て形にしてなるべくたくさんの人に届いて欲しいと願っている。実際それを成し遂げることは困難だと思っていても、そう願わずにはいられないというような気持ちから出た言葉が”貪欲”だったのかなと思います。
Spring×Street

春がやってきた。

春を共に過ごした。

青い空に光射す春の中で。
いつかの日、自分には分からなかった”青春”の話。外から見た時も、”どまんなか”に居た時も、それが何か分からなかった。それはただひたすらに走り続けていて、自分が見えていなかったから。

けれどもアイドルになって、ユニットを組んで、沢山の色を見ることが出来た。その中で他人を知り、自分を見つめ直した。そうして後ろを振り返られるようになったからこそ”春”の覚えがあって、その理解の上で、未だ沢山の色を乗せられるキャンバスに自分なりの”春”を描くことが出来るようになった。
かつては理解できなかったことも、沢山の事を経験したことで知ることが出来て、それを自分も糧に出来る。まだまだスタートラインかもしれないけど、確実に昔よりも歩を進めることが出来ている証明だと思います。
雨音の余白

ドラマの仕事。この世界に存在しない”誰かに成る”ための表現を求める。

表現するために理解をしようとする。絵でも、アイドルでも変わらない自分なりの表現のためのやり方。
けれど、その理解に正解は無くて、自分の理解と演じる対象との差異を応えてくれる存在はこの世にはどこにもいない。

僅かな情報しか知ることができなくて、それ以上のことを知ることは不可能で、その人を深く理解したいのに、形を掴むことすらも出来なくて。だから理解するために考える。表現するためにその人のことをずっとずっと考え続ける。どうしたらあなたのことを理解できる?

あなたを理解するにはどうしたらいい?追いかけて追いかけて、その背中が見えるまでただひたすらに走っていく。

あなたと同じことをする。あなたが走った景色を見た時にわたしも何かを感じることが出来るかもしれないから。雨に濡れて、息が切れるほどに走って。がむしゃらに、その人のことしか考えられないくらい思考をいっぱいにしてあふれ出てきた感情を自分なりに掴んだ。

僅かしか知りえないことをかき集めて、自分なりに理解するために沢山の事を試してあがいて歩み寄っていく。
どれだけ頑張っても理解することはできないかもしれないけど、それでも自分が納得するために足掻くことを決して捨てないようにしたいという気持ちがあるから、思いつくことをとにかく試して、あなたを理解しにいく。

見つけることは知ること。やみくもにでも走って、足掻いている姿を見つけて受け入れてくれるあなたがいること。見つけたことも、見つけてもらったことに気付けることも、どちらもあるからこその良い関係性なんですよねぇ。
わからなくても分からないなりに自分が出来ることをやり続けること。LPもそうですし、My Christmasや結実、の先にでも上手くいかないことや分からないことに対しても自分が出来ることをとにかく試してみる。といった精神性の話をしていましたが、今回は”演技”の土俵での話でした。自分の中の衝動や感情と向き合うのとはまた違う難しさがそこにあって、自分だけじゃなくて他の誰かを理解しないといけない。
他人を理解することは難しくて、全てを知ることの困難さを自覚している。それでも近づきたいと思う気持ちがある。そしてそんな自分を理解してくれる人もそばにいる。そんな新しい挑戦と今の環境の話。
恋まで、あと25メートル

再びの演技の仕事。未だ知らない”あなた”を知るために少しずつ歩み寄る。

歩み寄って、少しでも多くのことを理解する。近づけば近づくほど、あなたの気持ちを受け取って、わたしが形に出来ることが増えるかもしれないから。

理解するために出来ることを考える。考えて考えて自分の中で形にする。けれど、考えるだけが全てでは無い。ただなんとなく、感じたことも形にすることが出来る。自分が受け取ったものは考えなくても形にすることは出来て、それは考えて形にすることよりもいいようになることもある。全てを理解しなくても、感じたことを形にすることも一つの表現になりえるから、いつかどこかで考えることを止めることも一つのやり方。

役は役で、他人は他人。自分から見える情報だけでは全てを理解することは出来なくて、それを自分で表現しようと思っても、自分とは違う存在だからそこには乖離が産まれる。
その乖離は決して悪いことではなく、表現をするうえの色にもなるから、演技の世界でもそれは正解になりえる。
PRATINA ERRØRでは他人のトレースの隙間に”自分”が現れることに気付いた。
結実、の先にでは自分と他人は違っていて、言葉一つ取ってもその人の生み出したものにはその人らしさが出ることに気付いた。
あかり、あたり、染めてでは、考えるだけじゃなくて自分の中の衝動に従うことも自分らしさを表現するための術になることに気付いた。
CoMETIK: In Focusでは、他人の全てを理解することは難しくて、他人と自分との違いは必ずあって、その違う色同士を混ぜ合わせることで新たな色が産まれることに気付いた。
そんなこれまでの経験を踏まえた上で、この演技の世界でも役に向き合った上で、自分との違いを理解して、沢山考えた上でもただ直感で感じたことも演技という表現に乗せることで一つの自分らしい演技を作れる。というところに辿り着くことが出来た。

そして、そんな演技に辿り着いたうえで、”わたしはわたしで手一杯”と言ったことに驚きつつも大きな意味があると思います。
自分と他人は違う。だからこそ理解をしたいし、その違いを理解することで自分の世界も広がるし、もっともっと新しいものも作ることが出来る。だからこそ1対1で他人と向き合って表現をする”演技”の世界は、はるきにとっては難しくも自分が出来る表現の中でもより高度なものであって挑戦しがいがあるものだと思っていました。
今回のコミュや雨音の余白で見せた、役に向き合うために役に極限まで近づく行為は、危うさも含みつつも、はるきが他人に対して最大の理解を示したうえでそれを自己の表現にするというもの。はるきがかつて語った”見る”ことが好きで、沢山の世界を”知って”いきたいという気持ちと、自分が受け取ったものを形にして届けるという決意。その感情がぶつかり合う地点が”演技”の世界になりうると。
けれども、はるきは”わたしはわたし”と、ある種他人を理解して表現する行為に対して明確な線引きをしました。もちろんこれは他人に興味が無い、ということではなく、他人を知る以上に”自分”と向き合って表現することをもっと大切にしたい。と感じたからだと思います。
雨音の余白、恋まで、あと25メートルと、連続してはるきの”演技”の話が触れられましたが、演技を通して”他人”と向き合った上で、最終的に”自分”に帰って来たのがひとつはるきが色々な経験を通して辿り着いた答えなのかなと。
雑記:郁田はるきと”わたし”
前項からの続きですが、はるきが他者を知ること以上に”わたし”を大事にしたいという話について少し考えてみます。
演技の話。いくはる第一章において印象的だったのは「桜花拾」の話。ショートムービーの制作であって、明確に対象が居る”演技”では無かったが、テーマに沿った表現をする”誰か”をはるき自身が演じる内容。

与えられた”永遠”というテーマに対してはるきは”わたしが見えた「永遠」”を形にする。想いが連なること。誰かから受けた想いがわたしを変えて、その変わったわたしが続いていく。そんな想いの連なりが永遠に似ているように見えたから、それを表現しようとした。

けれども、その表現の中に”わたし”の存在自体を入れていなかった。けれども入れなくてはいけなかったから、その表現したい空間に佇む誰かを演じた。
はるきは表現したい空間を演じるのに”わたし”は不要だと判断したのだと思います。演技をすること自体というより、表現したいものを構成する上で”わたし”そのものを使う必要が無いと考えているのかもしれません。


はるきは当初から、自分がもっと広い世界を見るために見て、感じて、表現をしたいと考えていました。けれども、その思いとは裏腹に、自分自身に対する理解は薄く、それは自分の表現に対しても”わたしが何を考えてるか、わかってもらえなくても仕方ない”という言葉の通り、”自分の表現”と”自分自身”を切り離しているように感じます。

しかし、アイドル活動を通して少しずつ、自分が大切にしているものを思い出していきます。

作ることよりもなによりわたし自身の目で世界を見ることが好きで。そうして受け取ったものを形にしていけるのもわたししかいなくて。
表現をする上でやりたいこと、目指したいものの根底に”わたし”がいて、その感性をもっともっと大事にしていきたいと気づいていきます。そうして少しずつ自分自身を理解していこうとして、更にはルカや羽那、他の誰かのことを理解していこうと色々な経験をしていきます。

自己や他者に対して理解を進めていけばいくほど、その境界線がよりはっきりとしてきます。自分は自分で他の人とは違う。その違いから自分を見つめ直すことも出来るし、違い同士を混ぜ合わせることで新たなものを生み出せるし、その違いそのものが自分らしさの証明にもなると気づいていきます。

自分のことがよく分かっていなくて、どこか自分自身を遠いもののように感じていた最初の頃から、自分の根底にある”わたし”の感情に気付いて、そこからゆっくりと”わたし”と向き合ってきた。自分自身と相対することもあったし、他人を通して自分を見ることもあった。
そんな一連の流れを経たうえで、”わたしはわたしで手一杯”として、演技の仕事に対して少し消極的な姿勢を見せた。
それは演技自体が楽しくないとかではなく、他人を自分の表現とすることよりも、自分で自分を表現することの方が好きだということに辿り着いたというだけなのだと思います。

アイドルを始めるきっかけになった一番最初、Pに”どうにもならない人の心より君自身の心を動かして見える世界を塗り替えればいい”と言われました。この言葉をきっかけにはるきは自分で新たな景色を見つけて、そのさらに先へと飛び込んでいくことになりました。
昔も今も、きっと根底にあるのはこの考えで、他人のことよりも自分自身に向き合って、自分自身を変えていくことでもっともっと広い世界を見ることが出来る。一種の成功体験のようなものかもしれませんが、きっとここから”他人よりも自分”を感じて表現することの楽しさへの気づきが始まったのだと思います。
それを明確にするのに少しずつ自分を知って、他人を知って向き合ってきたのがこれまでの道のりであって、今回はるきが出した”わたしはわたしで手一杯”という答えは、この一番最初のはるきの経験に帰結するものであって、一周まわって再び辿り着いた原点回帰の答えだったのだと思います。
結び
ここまで郁田はるき第2章(仮題)のコミュを振り返ってきました。最初に述べた通り、今回のテーマは「自己理解と他者理解」でした。
第1章ではるき自身がやりたいことを自覚して、自ら進むことを決断しました。そこから”わたしらしい”表現を掴むために自己理解、あるいは他者理解を進めていき、唯一無二の”わたしらしい”表現をするために何が必要なのか、どう進んでいけばいいのかというところを見つけていったと思います。
”わたしはわたし”という一つの答えに辿り着いたはるきが、今後どのような表現を身に着けて、それをどのように届けようとしていくのか。この先何を見つけていくのかが楽しみです。
この先、推定主演公演のMSPや、コメティックの”変化”を描くAXE8も控えています。PJ:REFRAC7IONSのenza版での展開も予告されており、そちらも含めてはるきが様々な新しい環境で何を感じて、自分のものにしてくのか、何を描いていけるのかを見届けていきたいです。

















































































































































































































