ルックの掃きだめ

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ゆゆまい、たづりりから紐解くカップリング持論

 このページは、アサルトリリィLast Bullet メインストーリー 運命のトリニティ 誓いのリコネクトに悪い意味で脳を破壊されたオタクが自己整理と称して怪文書を提示するだけの場所です。
 途中で良くない言動が現れるかもしれませんがそれに対する苦情は受け付けません。知らん。

 

序論

 まずなぜこんな事をブログに書くんだという話ですが、ツイッターに流すと考え無しに垂れ流すだけになるので、自己整理を兼ねて当社比まともな文章を書くブログの形にした方が良いなと思ったのでです。掃きだめらしくなってきた。

 さてそんなカップリング持論をつらつら書き述べるきっかけは最初に書いたラスバレメインストーリー新章一柳隊編のせいです。

 私がアサルトリリィにハマってからそろそろ3年という所になります。昔の話はこちら

hrurukku.hatenablog.com

 アニメでアサルトリリィを知って、そこから舞台を見て盛大にハマって今に至るわけです。導入はアニメでしたが明確にハマったのは舞台からなので、ずっと舞台に囚われているオタクになっています。

 この囚われてる媒体の違い、アサルトリリィにおいてはそこそこ大きな問題で、今でこそ頑張って一本にしようとしてますが、媒体によって書いてる話が違う、なんて話はザラで、アニメも舞台もどちらも一柳隊の結成から描かれましたが中身は全然違います。そうなった時に当然大なり小なり事実の相違が起こるわけで、じゃあどっちが正しいの?と言われてもそれが明言されることは無いしどっちも正しいみたいになる訳で。

 そういう齟齬が発生した時、私は舞台に囚われてるので舞台での描写を基準に考える訳です。

 ここまでを前提条件とした上で、一柳隊のストーリーを見ていきます。一柳隊結成の物語は基本的に3つ。
小説:アサルトリリィ 一柳隊、出撃します!
舞台:アサルトリリィ League of Garden
アニメ:アサルトリリィ BOUQUET

 この3つそれぞれで梨璃が入学してから一柳隊結成までの物語が描写されていますが、どれも差異があります。小説と舞台に関しては、舞台版が小説のストーリーをベースに組み立てられている(と思う)ので大きな違いとしては一部のメンバーの加入が盛大に端折られてるくらいでしょうか。

 まあそこはいいんですが、問題なのはアニメとの差異で、ここで明らかに違うのが鶴紗の加入なんですよね。この点に関しては小説も舞台もどちらでも鶴紗の出自に関わる部分からアサルトリリィの闇に触れつつ鶴紗を救い出すっていう、物語としても大きな転換点になってる部分なんですがそこがアニメで丸々無くなった。

 アニメも勿論尺に限りあるので物語の取捨選択はしょうがないにしても、一柳隊結成の話に留まらずアサルトリリィ全体の中心的事柄にも触れる鶴紗加入の話が全くないんですよね。後半でほんのワンシーンだけ鶴紗がボソッと自分がブーステッドリリィであることを打ち明けてましたがそれだけ。

 ゲヘナ周りの話は結梨の所で触れるから鶴紗の話はいいやろみたいに思ったのかもしれんけど、鶴紗加入の話でゲヘナ周りの話以外にも大きなポイントがあるんですよ。そうですたづりりです。

 小説でも舞台でも、単身ゲヘナの元に向かった鶴紗を救いたい、と梨璃が周りを巻き込んで助けに行くというストーリーが展開されますが、この展開がアニメでは全く描写されていないと。ここら辺はたづりりの項で後述しますが、この話が無くなったことでアニメ時空において鶴紗と梨璃の関係性が凄い希薄になってる。

 

 さて、そんな風にアニメでは雑に処理されてしまった鶴紗ですが、もう一人被害者が居ます。梅様です。

 梅様は夢結と旧知の中で、小説でも舞台でも一緒に行動してたり夢結の動向を気にする場面だったりがありました。アニメでもまああったし正直そこに対してあからさまな扱いの差は特段感じてはいないんだけど、問題なのは鶴紗と行動を共にしていること。

 小説でも舞台でも、鶴紗は常に一人で自分の出自を恨んでは人とかかわることを避け続けてきた子で、(高畑聖咲の話まだ?)そんなすぐに心を許す事ないんですよ。だからこそそんな鶴紗に無邪気に救いの手を差し伸べた梨璃の姿が映えるのであって。なのにアニメでは大した理由も無く梅様と一緒にいるわけで。

 そりゃ梅様は優しくて誰にでも分け隔てなく接する人だけど、そんなくらいで気を許すようだったら鶴紗はあんなに苦しんでないんだわ。それなのに何故か梅様と行動を共にしてるのは違和感しか感じないわけです。どうしてもアニメ本編で描く時間なかったからあまりもの組み合わせましたにしか見えないんだよ。

 舞台でも小説でも鶴紗は梨璃と、梅は夢結と繋がる大事なキーパーソンだったのにその部分を端折った挙句そのどちらでも描かれなかった繋がりを勝手に生やしてきたと。

 挙句なんだ今回のラスバレストーリーは?アニメで大した理由も無く組み合わされ、その後も大きな展開一つなく百合ヶ丘における関係性の最頂点、シュッツエンゲルの契りを結んだ。意味が分からん。

 

 前置きが随分長くなりましたが、今回はそんなたづまいシュッツエンゲル問題に苦言を呈しつつ、ゆゆまい、たづりりについての自己整理を通して私の思うカップリング、関係性についての持論を書き連ねる場所です。

 

カップリング持論

 それぞれのカプを語る前に、まず私が思うカップリングについてのあれこれについて話しておきます。

関係性をカップリングたらしめる要素

 この話をする前に私の中での”関係性”と”カップリング”の定義付けをしておきます。曖昧な言葉なので各々解釈あるとは思いますが、私の中でのこの2語に基づいた話を展開するので前提条件として。

関係性
 これに関しては言葉通りで、2者間ないしは複数人間の関係全般を包括してさしてます。愛情、友情、親愛、怨恨、怨嗟、嫉妬etc...

カップリング
 これは私は関係性の上位互換と捉えています。どんな関係性でもカップリングへと昇華しうるものであり、関係性の中でも特別なもの。

 ここで章題に戻りますが、じゃあ何が関係性をカップリングに、特別にしているのかというお話です。私的にそこを昇華させる大事な要素が2つあって、時間と影響力です。両方あって然るべき、と言うわけでも無いですが、どちらとも必要な要素だとは思います。

時間
 
時間はまあ分かりやすいかなーとは思う。正確に言い換えるなら共に過ごした時間、になるね。強い感情を向け続けていたならもちろん、それが義務的に近いものであったとしても、共に過ごしていた時間が長い程そこの関係性の強さは増していくと思うね。それがプラスかマイナスかはわからないけど。

影響力
 
これは、その人の人生を変えたり、永い苦しみから解放したり、普段のその人からは到底考えられない行動を起こさせたり、そんな感じのやつ。ちょっと漫然としてるけど。カップリングにおいては唯一性が必要だから、影響させた、されたの事実はその唯一性に大きく寄与するものかなぁって思います。

 ところで影響力について、影響を与えた、与えられたの関係性ですが、感情のベクトルとしては与えられた側→与えた側の一方向性が強いですが、私はそれでもカップリングに昇華するには十分かなぁって思います。与えた側が相手のこと全く認知してなかったら別だけど、そうでない限りは無意識だったとしても与えた側の行動に起因してるわけだし。ただ与えた側のベクトルが弱くなればなるほど与えられた側のベクトルは大きくないとカップリングとして昇華するには遠くなるかなとは思う。

 とまあこんな所で、私が思う関係性をカップリングと昇華する要素は時間、影響力であって、その両方(と両者のベクトル)の総和が閾値を超えた時にそれはカップリングとなり得るのじゃないかって思ってます。閾値がどこかは知らん。感覚。

好きなカップリングの要素

 上ではカップリングについて形式的な話を述べてきましたが、ここからが本題。私の思うこんな要素があったらこのカップリングいいな~ってなる要素のお話です。

 ずばりこれは悪感情と救いです。こちらもどっちもあって然るべきというものでは無いですが。ちなみに悪感情に無限にいろんなものが包括してます。

 救いについては前項の影響力でも似たような例を挙げてますが、分かりやすい”影響”だよねというお話。たづりりにおける鶴紗が最大最高の例ですが、ずっとずっと一人で苦しんで誰にも助けを求めずに生き続けてきた鶴紗が梨璃に救われて前を向いて歩き始めたっていう事は鶴紗にとって本当に人生の分岐点であって最大の救いの出来事なんだよね。そういう絶大な影響は大きな感情を生み出すのでとても良いなと思います。

 悪感情についてはまあ本当に好みの話かもしれない。悪というとちょっと語弊があるかもしれないけど、マイナス寄りの感情くらいのニュアンスです。体感ですが、負の感情があった方がよりベクトルの総和は大きくなると感じてます。マイナスがのままでももちろん、そこからプラスに転じた時でもより強い感情が乗るのかなって感じます。

 悪感情の何が良いかって、感情がストレートに乗りやすいと思うんです。好きなシチュの話にもなりますが、怒りとか激情的な場面程その人の本音、本質がそのまま出ると思っているので、悪感情が強い程感情を表出させる場面になった時により大きな感情が現れると思っているのでそれはカップリングとしては凄い良いなと思ってます。

 カップリングの強さは感情の大きさなので、救いも悪感情も、感情のベクトルは違えどより強い感情を生み出す大事な要因だと思ってるからこの2点は特にカップリング考えるうえで大事にしたい要素です。

好きなカップリングのシチュエーション

 前項でも少し書きましたが、カップリングの色が一番出るのは直接感情をぶつけ合う場面だと思います。それはそう。

 大事なのはぶつけ合う状況で、さっきの悪感情の話にも似てますが、片方が大変な状況に遭ってる状況が特に美味しいと思ってます。ゆゆまいの歴戦乙女とか正になんですが、ああいう場面で必死になれるからこそより直接的に感情をぶつけ合うことが出来るかなと思うから好きです。二次だとそこそこの頻度で人を殺し(かけ)てる私ですが、大変な状況の最たる例が死の淵なのでまあ一番おいしい所書こうとするとそうなっちゃうよねっていうカスの思考です。

 でもまあ当然突然窮地になってわーってなるのは良くなくて、そこに至るまでにちゃんと感情を熟成させる場面も大事だと思ってます。

 2項前のカップリング成立要素の時間にあたる話ですが、関係の時間が長ければ長い程カップリングの両者ないしは一方が抱く感情は多かれ少なかれ大きくなると思います。そういう時間があればあるほど直接感情をぶつけ合う場面でよりそこでの言葉の説得力が増すんですよね。

 

カップリングの話

 ここまでツラツラと全体的な私のカップリングに対するお話をしてきましたがここからほんへという事で、ゆゆまい、たづりりの話です。

ゆゆまい

 私がアサルトリリィで一番好きなカップリングです。上で上げた要素全部ある。

 自己整理もかねてゆゆまいの辿った道筋を軽く振り返りながら所感を綴ります。

・中等部での出会い

 夢結と梅が初めて出会った時。戦闘訓練を疎かにする一方で勉強に熱を入れる梅に対して、夢結も梅の信念を汲み取ったうえで諭し、一緒に行動するように。
 梅にとっては日本に来てから(おそらく)初めて出来た仲のいい友人だし、夢結にとっても行動を共にするライバルみたいに思ってただろうから関係としても凄い良好に時間を積み重ねてた時期かな。

甲州撤退戦

 夢結の美鈴との死別、夢結が一人で行動するようになり梅も中々夢結と共に行動出来なくなる。
 梅としては当然夢結の苦しみは計り知れないながらも出来る限り寄り添って守り続けていたいっていう感情の起点かなと。悪感情、とはまた違うけどマイナスな出来事に対する感情ベクトルの変遷の一つだと思うし、この出来事で梅の夢結に対する想いはまた一つ大きくなったんじゃないかなと。

・梨璃との出会い

 梨璃との出会いで夢結はまた前を向いて明るくなった。梅としても梨璃を介して夢結と同じ部隊で戦うことになった。
 事実だけ書くといい流れのようにも見えるがその実梅としてはまあ複雑な感情を抱えますよね。これが悪感情です。梅様だと嫉妬というよりも自分が何もできなかった無力感だったりそういう現実を突きつけられた絶望感とかの方が強いのかなって私感。
 ”自分”じゃなくて”梨璃”が夢結を救ったっていう事実は長い間夢結と共にして隣でずっと見てきた梅としてはやっぱり素直に受け入れられない部分もあるよなって。そういう部分がおいしい

・歴戦乙女のアンサンブル

 ゆゆまいの聖典。大きな戦闘の場面で神宿りで暴走した夢結を決死の覚悟で止めに行く梅。上述の感情をぶつけ合う場面だね。
  多分これだけ付き合いのある二人でもこうやって強く感情をぶつけた時って無かったんじゃないかなって。中等部時代はまあ小さな言い合いとかはあっただろうけど、関係としては綺麗と言うか良いものだったし。甲州撤退戦以降はもう夢結がほとんど拒絶状態だから梅も支えることはあっても夢結に感情をぶつけることは流石にしなかっただろうし。

 夢結がルナトラ発動する前にちゃんと梅に対して信頼を寄せて自身を託してたし、梅もそれに応えるようにして夢結を引き戻してて、こういう点では夢結が前を向いたことでちゃんと梅のことも見れるようになったっていうことが強く出てるのかなと思う。
 でもその背景には梨璃の存在があって、梅としてはやっぱり悔しい。でもそれが夢結の幸せだってわかってるし、そう分かった上で夢結を救うために必死で手を差し伸べられるのは梅の強さだし逆に脆い部分かなとも思う。自分を抑えて愛する者の為に必死になれるのは本当に良いし辛いよね。

 だからこそ、ラストシーンの「今夜は私と踊っていただけませんか?」はある種最大級の意思表示で告白だと思うんですよね。ずっとずっと隣で支え続けて、それでも届かなくて自分じゃないって現実を見せつけられて、でもまた前を向いた夢結の姿を見れて隣で一緒に戦えて。梅としてはそれでもいい、っていう風に半ば諦めの気持ちも込めてそう思ってたと思うんだけど、そんな中で梅が精いっぱい出した少しの我儘がこのセリフだと思うんだよね。激情的なシーンではないけど、この一言に凄い強い感情がこもってるから、感情をぶつけるシーンとして凄い完成度が高いと思う。最高や。

・誓いのリコネクト

 鶴紗を救うため一人無茶をする梅を夢結が止める。歴戦乙女の意趣返し的な立ち位置。
 当該ストーリー大概カスでしたが、この点だけはゆゆまいの話として凄い良いなと思います。今までは梅→夢結への描写が多かったけど、歴戦乙女を経てしっかりと梅に対する想いを自覚した夢結がそれをちゃんと梅に返す構図は歴戦乙女のアンサンブルに対するアンサーとしては凄い良いと思う。梅の動機が鶴紗を救いに行くことなのがカス。

 

 ざっとゆゆまい出会いから現在軸まで拾いながら所感を述べてきましたが、やっぱりここの関係性はいろんなもの包括してて凄いおいしいんですよね。

 カップリング持論で話した要素になぞって話しますが、時間影響力については中等部での出会いの項で書いた通り、時間はもちろん十分に長いし、影響力についても、梅にとっては何も分からないまま単身故郷を救うために百合ヶ丘に来た自分に手を差し伸べて共に過ごしてくれた夢結の存在は一番大きいと思う。夢結も付き合いの長い友人でありライバルでもあって、大きな存在の一人だったと思う。

 救いについては、梅は影響力で上げた部分と概ね同じだと思う。夢結は撤退戦後の部分かな。当時でこそ気づけなかったけどちゃんと今になっては当時梅が隣で支え続けてくれた事実が今の自分を作ってるっていうことは自覚してるし、それがどれだけ大きな事だったかは当事者であった夢結が一番強く感じてると思う。当時は気付いてなかったけど。
 悪感情は上でも色々書いたけど梅様にかかる部分で、夢結を救いきれなかった無力感、悔しさ、悲しさ、そういう部分が時間が経つにつれて大きくなっていってると思うし、そういった感情を抑え込まなきゃいけないってのも一つのマイナスな感情かなって。目の前にいるのに届かない歯がゆさ、視線の先に自分が居ない悲しさ。そういった感情はずっと抱えてきてただろうし今も抱えてると思う。そういう積み重ねがカップリングをよりおいしくします。

 ゆゆまい、これまでの歴史を辿って来ても欲しい所全部やってくれてるので本当に良いんですよね。出会いがあって決定的な出来事から少し離れて、そこからまた戻って来たけど何処か歪んで歯車がズレてるような状態で今がある。一筋縄ではいかないような関係性を示していてそれによる感情の変化も都度描写されてるから何処取っても良いし全ての積み重ねがあって今の感情が形成されてる感じが特に強くて良いんですよ。

たづりり

 アサルトリリィで3番目に好きなカップリングです。LoGでアサルトリリィに沼った人間として個人的にも大きなカプだなぁって思ってます。ちなみに2番目に好きなカプはわくひまです。火力の暴力。

 たづりりを語る上で、ゆゆまいと違って展開が舞台(小説)とラスバレで色々と異なるのですが取り敢えず舞台準拠でのお話。

・LoG

 ゲヘナの命令で単身ヒュージ討伐の遠征に向かった鶴紗を梨璃が仲間と共に救いに行く。原点にして頂点のたづりりストーリー。内容は小説準拠だけど動きと声が着くと本当に違う。

 このシーンで特に大事だなって思うのは鶴紗の絶望感と梨璃の純粋さの差だよね。鶴紗の置かれた状況や死ねない絶望、死にたいと思うほどの苦しみを梨璃の純粋さの一手で救うあのシーンは本当に火力が高い。もちろんあの場に来たのは梨璃だけでは無いけど、梨璃が主導して梨璃が直接鶴紗を救いに来たっていう事実は鶴紗にとっては最大級に大きな出来事なんですよね。正に救いなわけで、安藤鶴紗という人間が一柳梨璃という一人の人間の行動によって大きく変わったっていう事を示す最大の事実がここなんですよ。あまりにも良い。

・TFG,LM

 こちらでは直接たづりりの色んなシーンがあったわけでは無いが、特に鶴紗については言動が色々と独りだった時と変わってるなぁという印象。

 TFGでは同じ境遇の百合亜様を助けたいと思い、鶴紗自らもルド女遠征を望んだ。百合亜の胸中を知っていたわけでは無いだろうが、自分と同じように望まぬ強化を受けた人を助けたいという気持ちはやっぱり自分が助けられて救われたからこそ感じられるものだと思うんだよね。梨璃が私にしてくれたように、私も同じように苦しんでいる誰かを助けたい。その気持ちは言葉通り梨璃が居たからこそであり、鶴紗が救われ変わったことの大きなファクターでもある。

 LMでは琴陽に対して、強化リリィとしての痛み、苦しみを説いた。強化リリィとして独り苦しみ続けて擦り切れて痛みも何も感じなく過ごしていた過去の自分を経て、救われて今の自分がある鶴紗だからこそその言葉に重みも説得力もあるんだよね。世界を恨み、ゲヘナを恨んでいる琴陽の姿を見て、自分が梨璃に救われなかったら辿っていた未来かもしれないと重ねて、その琴陽の絶望を受け止めた上でその先に希望があるかもしれないと琴陽に伝えるのは鶴紗にしかできない。

 

 舞台3作を通して、絶望を抱えた鶴紗が梨璃の手によって救われて希望を持つことが出来て、そうしていく中で同じ境遇のリリィに対して思いを向けることが出来るようになって、救いたいと思えるようになっていったっていう変化の過程がしっかりと描かれてた。
 強化リリィという存在自体がアサルトの世界での大きな軸になってる分、そこに深くかかわる鶴紗の言動の変化は綿密に描かれてて、その根っこにあるのは一柳梨璃っていう一人のリリィの存在だってことも強く示されてるんだよね。

 時間という部分に関してはものの数カ月のレベルだけど、それを無視できるほどに梨璃が鶴紗に与えた影響力が大きい。絶望し続けて死にたいと思ってしまう程の苦しみを抱えていた鶴紗が、梨璃に手を差し伸べられたことでその苦しみから解放されて他の人に救いの手を差し伸べる側にまでなったのは、鶴紗にとって言葉通り人生を変えるほどの救いだったのはこれでもかという程に示されてる。

 たづりり、アサルトリリィの光と闇を凝縮したようなカップリングでとてもいい。闇が深いほど光は強く輝く。梨璃の一手だけで絶大な破壊力を持ってるので瞬間火力が特に高いしその後に与えた影響も高いから、色々な行動のバックボーンにその関係性が見えるのが良い。

 

本論

 さて、ここまでゆゆまい、たづりりを軸に私のカップリング論を書いてきましたが、こんなことを書く火種になったたづまいの話です。

 たづまいに関してですが、カップリング持論の項で上げた時間、影響力、救い、悪感情全部無いです。
 時間は言わずもがな。影響力についても、鶴紗は変わらないというか梨璃のそれが全てのバックボーンになってるのでどうしようもない。梅様に関しても、明確な何かがあるわけじゃない。鶴紗に対する想いを語る部分はあったが、そこが’安藤鶴紗’である理由が無いんだよな。長く過ごしていくうちに、みたいな形ももちろんあるけど、それで昇華させるには時間が足りなさすぎる。

 救いは、鶴紗に関してはメイン新章で見せた強化実験の予後反応による苦しみ。それに対する救いの手は該当するかもしれないけど、結局浅いんだよな。そこが梅様である理由は梅様の生来の性格的な部分くらいしか強いものが無くて、梅様自身の想いで鶴紗を助けに行く、という心情に対する軸が無いから結局梅様である必要性が弱い。シチュエーションと関係的には梨璃が鶴紗を助けた時と似ているかもしれないけど、決定的な違いは救いになる唯一性かなと。下北遠征の時は、本当に鶴紗は一人で(高畑聖咲との関係性は不明なのでとりあえずスルー)そこに救いの手を差し伸べた梨璃は本当に鶴紗にとって唯一の光だったわけで。だからこそ梨璃が救いになったけど今回に関しては、鶴紗はもう一人じゃなくて、そこに手を差し伸べて救いとなるにはより強くて深い想いとかが無いとそれは関係性としては弱い。でもそこまでの強い想いは無い。
 梅様はそもそも鶴紗が救いになり得ないと思ってる。梅様が抱えている問題は故郷の事、そして夢結の事。語られてない何かがあるかもしれないけど少なくとも今の時点ではそこら辺しかないだろうし、そのどちらに対しても鶴紗が救いの手になる可能性は無い。

 悪感情は、鶴紗は救いと同じく予後反応での苦しみは該当するかもしれんが上と同じ理由で無し。梅様はわからん。行方不明の弟と重ねてる説をひっそりと抱えてたけど一ミリもお出しされなかったのでとりあえず無し。

 とまあこんな風につらつら書きましたが普通に芯が無くて受け入れられないって話。序論で話しましたがそもそもアニメラスバレ軸でたづまいが一緒に行動してるのに理由が無いんだよね。梨璃二水楓辺りは入学の時に出会って仲良くなってるけど、それが鶴紗や梅に適応できるかっていわれりゃまず間違いなくNoなんですわ。梅様はまあ明るく分け隔てなく接するタイプだけど、鶴紗はそうじゃない。強化リリィである自分を受け入れられずに苦しみ続けて、ゲヘナから救出されたとはいえ百合ヶ丘でもずっと一人で過ごし続けてた鶴紗がなんも無しに梅様と行動を共にする確固たる理由が存在しない。そこに説得力が無い時点でその後の何もかもが薄くなるんだわ。

 メタ的な話で、普通に鶴紗の深堀する余裕がアニメ出なかったから同じく深堀しづらかった梅様と適当に合わせたって私はずっと思ってるけど、最悪尺の都合は良しとしてもその後のラスバレ展開で、無理やり繋げられたここの話を膨らませに行ったのは普通に意味が分からん。つーかブーフレも歴戦乙女もやってたくせになんでそれほっぽり出してあんなことになったん?

 普通にアニメはもちろんの事ラスバレ展開においても鶴紗と梅の関係性について大きな何かを出すことも無くダラダラと続けていって急にメイン新章であんな話になって理解も納得もできるわけないよねって話。アニメから始まった鶴紗と梅の関係の起点から新章に至るまで、関係性における重要な事実を一切起こさないままに既成事実だけ強引に取って付けられる形になってるからそら芯も無いものになるだろうに。

 舞台信者的には普通に柳3作通して鶴紗と梅の会話シーンすらまともにあったか?ってレベルなのでそういうこと。舞台しか勝たん。

結言

 たづまいは認められん。心情的な部分はもちろん大きいけど冷静に作品を紐解いていってもそこが太い繋がりへと成り得る理由が余りにも欠けすぎててどうしようもない。契る前までだったらまだそこに至る過程で可能性は0じゃなかったと思うんだけど、そこの軸無しに契っちゃったのでもうこれ以降に何言われても一切揺らがないと思う。スカスカの土台の上に成り立っている関係性から何お出しされても底抜けていくよ。

 それはそれとして、鶴紗がお姉様とかデート行きましょうとか言うわけないだろお前安藤鶴紗を何だと思ってる?普通に解釈違いにも程がある。なんなら現状のたづりりでも梨璃に対してデート行こうは言わねぇと思うわ。これから先の一柳隊の展開においてこうして延々と解釈違いの安藤鶴紗が垂れ流されると思うと普通にキツイので割と真剣に身の置き方を考えざるを得なくなってる。本当にどうしてくれるんだ。

 アサルトリリィというコンテンツは今でも好きだし舞台とか追っててここまで熱持ち続けてコンテンツ追えてるのも久しぶりの感覚なのでめちゃめちゃ楽しませてもらってるんだけど、だからこそこうして急に不誠実に話を展開して今までの積み重ねをないがしろにするような展開をお出ししてきたのは本当に辛いです。
 今まで公式がお出しするものは、時間かかるのもあれどちゃんと咀嚼して受け止めてきたつもりですが、こうして本当に受け入れがたいものをお出しされたのは初めてなのでとても困ってますね。ここから入れる保険をください。

 こうしてつらつらと思いの丈を語ってきましたが、お出しされてしまったものをどうにもできないことも分かってるので、受け入れるか自ら身を引くかの2択を迫られてる現状に苛まれる今日この頃です。もういっそ一柳隊編あれで完結ってことにしてくれた方が幸せかもしれない。そうじゃないかもしれない。

 と、言ってますが最近は普通に舞台展開とラスバレががっつりリンクしてるので舞台追ってる人間としてはラスバレサ終まで付き合わざるを得ないので、苦虫を嚙み潰しながら苦言と文句を言い続けて付き合っていきます。

 

付録

 こんなことを書いてる間にも、公式は色々とお出ししてきてて、メイン新章来てから1カ月しないうちに2回死体蹴りされました。ふじの食堂とソロ曲ストーリーです。

 ふじの食堂は、何だろね、普通に辛かった。ゆゆまいを同時に見れた気持ちもありつつそこを引き出したのがたづまいというクソみたいな事実に板挟みにされて死ぬかと思った。メイン新章でも同じような気持ち味わってましたが、ゆゆまい、たづりりオタクは今後常にこんな気持ちに苛まれながらコンテンツを追っていく必要があるのかと思うとどうしようもなくて辛くなります。

 ソロ曲ストーリーはとりあえず担当者をボコらせろ。ブーフレのメモリアイラスト使ってたづまいの話するの普通に頭おかしいんじゃないか?もしかしてブーフレ読んだことない?エアプ?このコンテンツから降りたら?って感じです。普通に鶴紗を暗闇から救い出したの梨璃なのになんか梅様がその立ち位置にいるような書きぶりなのも普通に意味わからんし。ブーフレ読んだことない?舞台観たことない?小説読んだことない?オタクより詳しくなってから出直せ。

 普通にこんなに雑に死体蹴りを繰り返されると思うと本当にこのコンテンツに着いて行きたくなくなるのでやめてほしい。頼むからバレンタインとかそういうところで出すなよ。マジで死にたくなるから。

 一柳隊の今後の展開として確実に甲州奪還戦はあるのでそこでゆゆまいゴリ押ししてくれないと割に合わないのでマジで頼むぞ。アサルトリリィとしても大きな展開になるだろうからそこで悲しい気持ちにさせないでくれ。

 

 コンテンツのオタクとして、キャラクター個人や関係性に目を向けて味わうことは大事だと思ってます。2次元といえど、創作といえどそこに生きてるのは人間なのだから、そこを汲み取ることもコンテンツを受け取る手段の大きな部分だと思うから。
 だからこそ、コンテンツを提供する側にもそれ相応の深さが欲しいなって思うわけです。もちろん万人に受け入れられて納得されるようなものが存在しないことも重々承知だけど、コンテンツを追ってきた人を幻滅させるような展開はやらないでくれると嬉しいなって私は思います。

 

 

2023年12月31日